昨日と今日と、しばちゃんとボニーが遊びにきてくれました。
子供達が出かけている週末、いっしょにご飯をつくり、料理しながらワインを飲み、つもる話に花をさかせて、あげくに寝床へバッタン。
心から楽しめたのは、この金曜日、ガイゼンハイムの卒業証書を手にしたからなのでした。
金曜の2時半、ボスのアンドレアスや秘書のマリアに、「ちょっくら学校へ行って、卒業証書をいただいたらまた戻ってくるから。」と伝えたのち、愛車(畑用)のカングーに乗ってガイゼンハイムへ。自分の名前を呼ばれ、壇上にあがると、カウアー先生が "Ich freue mich besonders, Frau Kuriyama"、という言葉とともに卒業証書を手渡してくださいました。就学中4年目のプライベートや仕事のごたごたで私の卒業が1年のび、心配してくださっていたことを知っていただけに、感無量でした。お世話になった先生方にはこれからも、いろいろ相談をもちかけることでしょう。ガイゼンハイムから30分のロルヒで仕事を続けながら、学び舎へのコンタクトを密にとれることが、今更ながらうれしいのでした。
考えてみれば、パウルのところで徒弟としてはじめた2000年以来、勉学と仕事と家族とをやっとこさっとこ両立しながらここまで来て、今やっと自分の人生を新しくしきり直せる、という感慨があります。ほんとうにしんどかったけれど、どのステップも大切だった。世界的な研究の舞台で活躍されている先生方や、楽しい仲間達といっしょに過ごした日々。ガイゼンハイムに来てよかった。
2008年07月14日
2008年06月19日
シュール・リー
今日も、午前中は畑にいました。ロルヒのシュロスベルクにある3年樹のリースリングが植わっている小さなパーセルを、一人で手入れしました。他のみんなは整枝作業。若い畑は、それこそ一本ずつ樹勢に合わせて手入れをするので、それを他のスタッフに要求するより私が自分でやったほうが効率がいいので仕方ない、自分でやります。(というか、私がうるさいので、みんな敬遠するのよね。ごめん。)
さて、シュール・リー、と専門用語ではいいますが、要は発酵が終わったワインを澱引きせずに澱の上に寝かせておくことをいいます。スリムにエレガントに仕立てるドイツのリースリングでは、あまり見られない手法ですね。澱引き後、ファインヘーフェ(細かな澱、または微量の澱)の上に寝かせて置く醸造所は増えましたが、まったく澱引きしないというのはまだあまり無いと思う。
私はでも、このシュール・リーをぜひともリースリングに使ってみたかったのです。それも、リースリングとしては比較的長く。2007年のヴィンテージの70%以上の瓶詰めを、5月以降まで引き延ばしていたのも、そういった思惑があったからなのでした。
先日、東京での試飲会に持って行った3つの単一畑から造った辛口のリースリングは、今もシュール・リーにかけて、ゆっくりと澱の上で熟成中です。せっかくの果実香が失われてしまったらどうしようという当初の心配は危惧に終わったようで、今日試飲してまたほっとしました。澱のおかげで、果実香がより複雑、またニュアンスも豊かになってきたようです。アフターも長い。ただし、バトナージュ(澱の撹拌)はしません。ふくよか過ぎるリースリングは好みではないの。
アンツカにまたお願いする今年最後の瓶詰めは、7月9日の予定です、そろそろ準備にかからないと。
さて、シュール・リー、と専門用語ではいいますが、要は発酵が終わったワインを澱引きせずに澱の上に寝かせておくことをいいます。スリムにエレガントに仕立てるドイツのリースリングでは、あまり見られない手法ですね。澱引き後、ファインヘーフェ(細かな澱、または微量の澱)の上に寝かせて置く醸造所は増えましたが、まったく澱引きしないというのはまだあまり無いと思う。
私はでも、このシュール・リーをぜひともリースリングに使ってみたかったのです。それも、リースリングとしては比較的長く。2007年のヴィンテージの70%以上の瓶詰めを、5月以降まで引き延ばしていたのも、そういった思惑があったからなのでした。
先日、東京での試飲会に持って行った3つの単一畑から造った辛口のリースリングは、今もシュール・リーにかけて、ゆっくりと澱の上で熟成中です。せっかくの果実香が失われてしまったらどうしようという当初の心配は危惧に終わったようで、今日試飲してまたほっとしました。澱のおかげで、果実香がより複雑、またニュアンスも豊かになってきたようです。アフターも長い。ただし、バトナージュ(澱の撹拌)はしません。ふくよか過ぎるリースリングは好みではないの。
アンツカにまたお願いする今年最後の瓶詰めは、7月9日の予定です、そろそろ準備にかからないと。
2008年04月08日
発芽間近
ふー、今日はほぼ1日畑にいました。
栽培チームの間では「グラフィティー」の通名で親しまれているリースリング5年樹が植わっている半ヘクタールの畑。痩せたままの土壌に植樹された後遺症から、去年など収穫量が10hl/ha (1ヘクタールあたり10,00リットル)もあがらなかったかわいそうな畑。若い畑はデリケートで、特に霜に弱いため、剪定は他の畑が終わってから行うことにしたのですが、あれよあれよという間に暖かくなってしまい、芽が膨らみはじめた。先週の金曜日、私と栽培チームのボスでポーランド人のヤノシュと二人であたふたと剪定し、今週は奥様の療養のため一時ポーランドへ帰国の途についたヤノシュを送り出した後、やはりポーランドから来てくれているマーティンとパトリックと伴に、発芽前の最後の作業である、去年の新梢をねかせてワイヤーに結びつける作業をほぼ終えました。
それにしても今日の天気、フュルストでの1年目の冬のある日を思い起こさせてくれました。今はアールのマイヤーネーケル醸造所で音頭を採っているマイケと二人で剪定していたあの日も、今日のように1時間毎ごとに吹雪に襲われたんだわ。それと同じように今日も、ラインを遡ってくる暗雲を見ないようにしながら作業をしました。みんな、お疲れさま。
栽培チームの間では「グラフィティー」の通名で親しまれているリースリング5年樹が植わっている半ヘクタールの畑。痩せたままの土壌に植樹された後遺症から、去年など収穫量が10hl/ha (1ヘクタールあたり10,00リットル)もあがらなかったかわいそうな畑。若い畑はデリケートで、特に霜に弱いため、剪定は他の畑が終わってから行うことにしたのですが、あれよあれよという間に暖かくなってしまい、芽が膨らみはじめた。先週の金曜日、私と栽培チームのボスでポーランド人のヤノシュと二人であたふたと剪定し、今週は奥様の療養のため一時ポーランドへ帰国の途についたヤノシュを送り出した後、やはりポーランドから来てくれているマーティンとパトリックと伴に、発芽前の最後の作業である、去年の新梢をねかせてワイヤーに結びつける作業をほぼ終えました。
それにしても今日の天気、フュルストでの1年目の冬のある日を思い起こさせてくれました。今はアールのマイヤーネーケル醸造所で音頭を採っているマイケと二人で剪定していたあの日も、今日のように1時間毎ごとに吹雪に襲われたんだわ。それと同じように今日も、ラインを遡ってくる暗雲を見ないようにしながら作業をしました。みんな、お疲れさま。
2008年03月11日
怒濤の瓶詰めと、大切なお客さま
なんかヘンテコなタイトルですが、、、
1月末に卒論を提出し終わったと思ったら、あれよあれよという間に予定していた2月3週目の3日間の瓶詰めが迫って来てしまいました。
わたしごときが「忙しい」なんて、ブロイヤーのヘアマンや今年ウン万リットルをケラーに抱えているライツのエヴァをみているとおこがましい、仕事がたてこんでしまうのは、とみに自分の管理能力が追いついていないからだと反省することしきり。
でも、ハプニングは重なるもので、いろいろありました、2月は。まず、1月末に納入予定だった硅素フィルターが、2月半ばになっても届かないではありませんか。これを専門にやってくれるプロに作業を依頼することも可能ですが、私、自分のワインは自分で扱いたい。しょうがないので、Schichtenfilterでのったりのったり、やっとのことで3万リットルを瓶詰めに間に合うようにフィルターがけしました。半日は大切なクライアントにご挨拶するために出張しなければいけなかった私にかわって、ちょうど遊びに来てくれていたギヨームがやってくれたんだけれど。どんなに助かったことか。(「君のケラーで一人で作業するの、慣れちゃったよ。」って言われちゃったの。(汗)冬はドメーヌ・ビーズでは金曜日がお休みな彼が、私のところに遊びにくるかたわら手伝ってくれる時でも、私はやれ畑だオフィスだと、ケラーには細切れにしか居ないから。)その他にも、監査が入ったりと、ほんとに学ぶことが多かったのです。そのうちの半分はここに書けないことなのですが。
そして今は、5月に瓶詰め予定のリースリングのアッサンブラージュ中。いくつかのキュヴェは、今週はじめて澱から下ろし、でも細かな澱(ファインヘーフェ)を残して熟成を続行します。
実は今日、アルテンキルヒにとってもっとも大切なお客様のうちの二人が試飲に来てくださいました。ありがたいことに、瓶詰めした3つのワインと、アッサンブラージュした残りの辛口リースリングのキュヴェ達、そしてピノノワールとリースリングのアウスレーゼをすべて試飲していただいたら、"Sehr schoene Kollektion, Kompliment!" とのコメントをちょうだいして、どっと肩の荷が一つ降りたような気がしました。「君自身、満足なのじゃないの?」と訊かれたのですが、どんなに自分好みのワインを作ったとしても、お客様に気に入っていただけなかったら稼業あがったり、ですものね。本当にほっとしたんです。今年はアルテンキルヒで初めて私が葡萄栽培の責任も負う年。去年は、収穫の1週間前が始業でしたから。よし、今年の畑への投資、がんばるぞ!
1月末に卒論を提出し終わったと思ったら、あれよあれよという間に予定していた2月3週目の3日間の瓶詰めが迫って来てしまいました。
わたしごときが「忙しい」なんて、ブロイヤーのヘアマンや今年ウン万リットルをケラーに抱えているライツのエヴァをみているとおこがましい、仕事がたてこんでしまうのは、とみに自分の管理能力が追いついていないからだと反省することしきり。
でも、ハプニングは重なるもので、いろいろありました、2月は。まず、1月末に納入予定だった硅素フィルターが、2月半ばになっても届かないではありませんか。これを専門にやってくれるプロに作業を依頼することも可能ですが、私、自分のワインは自分で扱いたい。しょうがないので、Schichtenfilterでのったりのったり、やっとのことで3万リットルを瓶詰めに間に合うようにフィルターがけしました。半日は大切なクライアントにご挨拶するために出張しなければいけなかった私にかわって、ちょうど遊びに来てくれていたギヨームがやってくれたんだけれど。どんなに助かったことか。(「君のケラーで一人で作業するの、慣れちゃったよ。」って言われちゃったの。(汗)冬はドメーヌ・ビーズでは金曜日がお休みな彼が、私のところに遊びにくるかたわら手伝ってくれる時でも、私はやれ畑だオフィスだと、ケラーには細切れにしか居ないから。)その他にも、監査が入ったりと、ほんとに学ぶことが多かったのです。そのうちの半分はここに書けないことなのですが。
そして今は、5月に瓶詰め予定のリースリングのアッサンブラージュ中。いくつかのキュヴェは、今週はじめて澱から下ろし、でも細かな澱(ファインヘーフェ)を残して熟成を続行します。
実は今日、アルテンキルヒにとってもっとも大切なお客様のうちの二人が試飲に来てくださいました。ありがたいことに、瓶詰めした3つのワインと、アッサンブラージュした残りの辛口リースリングのキュヴェ達、そしてピノノワールとリースリングのアウスレーゼをすべて試飲していただいたら、"Sehr schoene Kollektion, Kompliment!" とのコメントをちょうだいして、どっと肩の荷が一つ降りたような気がしました。「君自身、満足なのじゃないの?」と訊かれたのですが、どんなに自分好みのワインを作ったとしても、お客様に気に入っていただけなかったら稼業あがったり、ですものね。本当にほっとしたんです。今年はアルテンキルヒで初めて私が葡萄栽培の責任も負う年。去年は、収穫の1週間前が始業でしたから。よし、今年の畑への投資、がんばるぞ!
2008年02月01日
アンネ来る!
今日やっと、(しかも締め切り当日に)卒論を提出して来ました。ふー。
製本してもらって、もう中身は見まいと心に決めていたはずなのに見てしまい、、、
統計のグラフにミスを見つけて、がーん。シュルツ先生に言うと、「どんなに見直したと思っても絶対にミスは出て来るから。そんなものだよ。」と言われたけれど、いやになっちゃうなあ、、。
でもこれでやっと、去年の収穫が終わって以来晴れて(?)仕事に全力投球できます。このシーズンはまともに自分で畑に出て行って剪定する時間が持てなかった。これでは体も感覚も鈍ってしまうもの。いけないいけない。
明日はお休みをいただいていて、早朝またボーヌに発ってしまうので、ご報告だけ。
アルテンキルヒ醸造所の歴史始まって以来、っていうとおおげさだけれど、今年の秋から徒弟(Auszubildende)をむかえることになりました。それはだれかというと、フュルスト時代からの私の葡萄栽培の師、フランツの次女のアンネ!
私がパウルのもとで修行を始めた当時、彼女はまだ11歳だった。仕事が終わって、フュルストの前の畑を下って2分のフランツとマリアンネのところへ遊びに行って、アンネや彼女の姉妹達とお母さんお手製のケーキを食べながらおしゃべりするのが楽しかったあのころ。アンネは14歳になるころからよくパウルのところへ手伝いに来ていて、私や他の徒弟達が面倒をみてあげた。
お父さんの感性をそっくりそのまま受け継いでいるアンネ。去年の秋からキューンで徒弟一年目を始めました。その彼女が、大切な二年目に私のところに来てくれるなんて、文字通り夢みたい。アルテンキルヒのチームのみんなにも嬉々としてして報告したので、ボスのアンドレアスはじめ、みんな楽しみにしています。
今日はご報告まで。早くアルテンキルヒのチームのみんなも追ってご紹介します。
それでは!
製本してもらって、もう中身は見まいと心に決めていたはずなのに見てしまい、、、
統計のグラフにミスを見つけて、がーん。シュルツ先生に言うと、「どんなに見直したと思っても絶対にミスは出て来るから。そんなものだよ。」と言われたけれど、いやになっちゃうなあ、、。
でもこれでやっと、去年の収穫が終わって以来晴れて(?)仕事に全力投球できます。このシーズンはまともに自分で畑に出て行って剪定する時間が持てなかった。これでは体も感覚も鈍ってしまうもの。いけないいけない。
明日はお休みをいただいていて、早朝またボーヌに発ってしまうので、ご報告だけ。
アルテンキルヒ醸造所の歴史始まって以来、っていうとおおげさだけれど、今年の秋から徒弟(Auszubildende)をむかえることになりました。それはだれかというと、フュルスト時代からの私の葡萄栽培の師、フランツの次女のアンネ!
私がパウルのもとで修行を始めた当時、彼女はまだ11歳だった。仕事が終わって、フュルストの前の畑を下って2分のフランツとマリアンネのところへ遊びに行って、アンネや彼女の姉妹達とお母さんお手製のケーキを食べながらおしゃべりするのが楽しかったあのころ。アンネは14歳になるころからよくパウルのところへ手伝いに来ていて、私や他の徒弟達が面倒をみてあげた。
お父さんの感性をそっくりそのまま受け継いでいるアンネ。去年の秋からキューンで徒弟一年目を始めました。その彼女が、大切な二年目に私のところに来てくれるなんて、文字通り夢みたい。アルテンキルヒのチームのみんなにも嬉々としてして報告したので、ボスのアンドレアスはじめ、みんな楽しみにしています。
今日はご報告まで。早くアルテンキルヒのチームのみんなも追ってご紹介します。
それでは!
2007年11月24日
バトナージュについての備忘録
備忘録を兼ねて書いておこうと思ったこと。
ブルゴーニュのシャルドネで、現在の私のお気にいりの造り手はジャン・マルク・ルーロー。研ぎすまされた、求心力のあるシャルドネ。高い完成度を保ちながらも、高慢な冷たさがなく、豊かなエモーションを感じます。彼の造り方の特徴の一つは、バトナージュ(死んで樽の底に沈殿している酵母を撹拌すること)の頻度が極端に少ないということだそうです。そして、樽からの澱引きのときも、実際は澱をはじかないで集めておいて、アッサンブラージュしたワインを澱とともに瓶詰め前のフィルターがけまで寝かしておくのだそう。
ブドーさんによると、彼もアルコール度高めの2006は、バトナージュをまったくしなかったそうです。そして、7月にステンレスタンクにアッサンブラージュされたキュヴェ達は、そのまま現在まで澱の上に寝かされていました。「2006はルーローとスタイルがちょっと似てると思ったら、どうりで。」、とギヨーム。実は彼も、バトナージュは一回ぐらいしかしなかった人。
ブロイヤーでの2006年、私は痩せていたノンネンベルクを一ヶ月に一回ほど、キュヴェによって2回から4回バトナージュしてみたのだけれど、バトナージュしたら必ず、ワインがまた澄んでくる3週間後ぐらいに試飲して、続行するかを判断しました。その結果得られた経験って、本当に大きかった。リースリングのマティエールの基軸をどこにとるのか、ヘアマンのスタイルを尊重するよう努めながら、ワインのボリューム感を左右するバトナージュの仕方や回数をコントロールするのが、とても楽しかったのでした。
ギヨームのシャルドネの作り方を間近でみさせてもらっていて、一番勉強になるのが澱の使いかた。彼にもらった一番大きなインスピレーションの一つ。
ブルゴーニュのシャルドネで、現在の私のお気にいりの造り手はジャン・マルク・ルーロー。研ぎすまされた、求心力のあるシャルドネ。高い完成度を保ちながらも、高慢な冷たさがなく、豊かなエモーションを感じます。彼の造り方の特徴の一つは、バトナージュ(死んで樽の底に沈殿している酵母を撹拌すること)の頻度が極端に少ないということだそうです。そして、樽からの澱引きのときも、実際は澱をはじかないで集めておいて、アッサンブラージュしたワインを澱とともに瓶詰め前のフィルターがけまで寝かしておくのだそう。
ブドーさんによると、彼もアルコール度高めの2006は、バトナージュをまったくしなかったそうです。そして、7月にステンレスタンクにアッサンブラージュされたキュヴェ達は、そのまま現在まで澱の上に寝かされていました。「2006はルーローとスタイルがちょっと似てると思ったら、どうりで。」、とギヨーム。実は彼も、バトナージュは一回ぐらいしかしなかった人。
ブロイヤーでの2006年、私は痩せていたノンネンベルクを一ヶ月に一回ほど、キュヴェによって2回から4回バトナージュしてみたのだけれど、バトナージュしたら必ず、ワインがまた澄んでくる3週間後ぐらいに試飲して、続行するかを判断しました。その結果得られた経験って、本当に大きかった。リースリングのマティエールの基軸をどこにとるのか、ヘアマンのスタイルを尊重するよう努めながら、ワインのボリューム感を左右するバトナージュの仕方や回数をコントロールするのが、とても楽しかったのでした。
ギヨームのシャルドネの作り方を間近でみさせてもらっていて、一番勉強になるのが澱の使いかた。彼にもらった一番大きなインスピレーションの一つ。
2007年11月22日
Vent des Vinsの週末、エティエンヌ・ソゼにて
本日は一日お休みをいただいて、自宅で卒論を書いています、、、のはずなのだけれど、朝一で歯医者、帰ってきてからはけっきょく仕事がらみの電話で、半日つぶれてしまった。アルテンキルヒのフィルター(Kieselgurfilter)は製造年1978年という強者。「ご引退ねがいます!」とボスに宣言して、これとともに文字通り使い物にならずにほっておかれているSchichtenfilterも新調するので、メーカーや同業者と問い合わせているのです。早く決めないと、来年の2月末までには瓶詰めしなくてはいけないゾマーヴァイン(「夏のワイン」の意です)のフィルターがけまでに納品が間に合わない。畑のためのコンポストも造らなくてはいけないし、、、。
気を取り直して、ちょっと先週末の出来事について書いてみます。先週末はボーヌにいました。ちょうどVent des Vins(オスピス・ド・ボーヌの競売会)の週末で、コートドール中がお祭り騒ぎ。
まず金曜日の朝は、ギヨームとビーズで研修中の政一君と一緒に、ピュリニーのエティエンヌ・ソゼを訪ねました。指揮をとっていらっしゃるジェラール・ブドーさんと、シャサーニュ・ヴィラージからモンラッシェまで、2006年のミレジムを試飲。素敵な2006年。平均14%というアルコールのヴォリューム感をしっかりとした酸がひきしめて、わずかな貴腐香のエキゾチックなアフターへと繋いでいました。圧巻はやはりコンベット。こちらのシグニチャー・ワイン。気品といいバランスといい、まったくすきがありません。一番複雑だったのはモンラッシェ。私は個人的に、フィネスのあるバタールが好きでした。ドイツのリースリングを飲み始めてからボトリティスにはひときわ敏感(?)になったギヨーム、「シャルドネにほんのちょっとのボトリティスのタッチって、サンパだね。」と、ちょっとした発見というおもむき。
もっともブドーさん、2007年は、はじめて導入した選果台で、10%ほどだったTBA級の実をすべてはじいていらっしゃったっけ。(はじかれたあれ、いただきたかったわ。半端な量じゃなかったのだもの。数百リットルのTBAが造れたとおもう。)理想をいってしまうとやっぱり、辛口のシャルドネは、辛口のリースリング同様貴腐の許容度は5%が上限と考えていいのかな。(個人的に私、辛口のリースリングを造るのに貴腐葡萄のジュースを活性炭やベントナイトなどで清澄してなんとか辛口を造ってしまうのは好きではありません。2006年はいたしかたなかったけれど。泣く泣くこの処理を余儀なくなくされた生産者が多かったから。)
ここでも、フィルターのことが話題になりました。ギヨームが2年前から使いはじめた module lenticulaire を去年ビーズに見にいらしたブドーさん。今年はヴィラージュ級のワインで、従来までの filtration kieselguhr と比較するために試験的に導入されたのです。module lenticulaire は使いかってもよくシンプル。ブラインドでの比較試飲も、差は大きなものではないけれどギヨームと私にはやはり前者のほうが印象がよかったかな。モンラッシェのような小さなキュヴェの場合は特に、奇麗に処理できるでしょうね。私もほしいけれど、こちらと違ってリースリングを造る我々の場合、最低2種類のフィルターが必要。やっぱり両方は高すぎて買えない、残念。いいなあ(ブルゴーニュの)シャルドネは。丁寧に一回フィルターにかけてあげれば瓶詰めできるのだもの。滅菌処理もぜんぜんしないんだもの。うらやましいなあ、ぶつぶつ、、、
2006の試飲の後は、小さくてかわいらしいカーヴのひと隅で、シャン・カネの最近のミレジムの垂直試飲。2005、2004、そして2003を抜くブドーさん。「ちょっと冷たすぎるからね。」と、みんなでグラスを手であたためながら。しかししかし、本当に目から鱗の試飲。同じアペレーションで、こんなに違うなんてとあらためてびっくりしました。美しいシャルドネのお手本のような2005年。表現力豊か、クリーンな酸のきれ、お育ちの良さ。続く2004年は、ミレジムのハーブの香りと味わいがまだはっきりと感じられるグリーンなエレメントが、うーん、まだちょっと融合していない。ギヨームのお気に入りのミレジム。変わって2003年。短かった葡萄の成熟期間と猛暑が、南国の果実のアロマとなってはっきりと映し出されていました。ワインは調教されているけれど、それでもうねるようなヒートが感じられる。やっぱりワインって素晴らしい、情熱をかけて造るかいがあるなあ。どのミレジムもそれぞれのよさがある。テロワールとミレジムの個性を最大限に生かしてあげられるよう努力しなくっちゃ、とあらためて感じました。ブドーさん、ありがとうございました。

実はこんな写真をアップするのは気が引けるのですが、彼の希望です、お許しを。(瀑)?歳の誕生日に、気球の小旅行をプレゼントしてくれました。コート・ド・ニュイの北、フィサンから出発して、ニュイの上空を南へと下る旅です。気球の名前はエアー・エスカルゴ。かわいいでしょ?
気を取り直して、ちょっと先週末の出来事について書いてみます。先週末はボーヌにいました。ちょうどVent des Vins(オスピス・ド・ボーヌの競売会)の週末で、コートドール中がお祭り騒ぎ。
まず金曜日の朝は、ギヨームとビーズで研修中の政一君と一緒に、ピュリニーのエティエンヌ・ソゼを訪ねました。指揮をとっていらっしゃるジェラール・ブドーさんと、シャサーニュ・ヴィラージからモンラッシェまで、2006年のミレジムを試飲。素敵な2006年。平均14%というアルコールのヴォリューム感をしっかりとした酸がひきしめて、わずかな貴腐香のエキゾチックなアフターへと繋いでいました。圧巻はやはりコンベット。こちらのシグニチャー・ワイン。気品といいバランスといい、まったくすきがありません。一番複雑だったのはモンラッシェ。私は個人的に、フィネスのあるバタールが好きでした。ドイツのリースリングを飲み始めてからボトリティスにはひときわ敏感(?)になったギヨーム、「シャルドネにほんのちょっとのボトリティスのタッチって、サンパだね。」と、ちょっとした発見というおもむき。
もっともブドーさん、2007年は、はじめて導入した選果台で、10%ほどだったTBA級の実をすべてはじいていらっしゃったっけ。(はじかれたあれ、いただきたかったわ。半端な量じゃなかったのだもの。数百リットルのTBAが造れたとおもう。)理想をいってしまうとやっぱり、辛口のシャルドネは、辛口のリースリング同様貴腐の許容度は5%が上限と考えていいのかな。(個人的に私、辛口のリースリングを造るのに貴腐葡萄のジュースを活性炭やベントナイトなどで清澄してなんとか辛口を造ってしまうのは好きではありません。2006年はいたしかたなかったけれど。泣く泣くこの処理を余儀なくなくされた生産者が多かったから。)
ここでも、フィルターのことが話題になりました。ギヨームが2年前から使いはじめた module lenticulaire を去年ビーズに見にいらしたブドーさん。今年はヴィラージュ級のワインで、従来までの filtration kieselguhr と比較するために試験的に導入されたのです。module lenticulaire は使いかってもよくシンプル。ブラインドでの比較試飲も、差は大きなものではないけれどギヨームと私にはやはり前者のほうが印象がよかったかな。モンラッシェのような小さなキュヴェの場合は特に、奇麗に処理できるでしょうね。私もほしいけれど、こちらと違ってリースリングを造る我々の場合、最低2種類のフィルターが必要。やっぱり両方は高すぎて買えない、残念。いいなあ(ブルゴーニュの)シャルドネは。丁寧に一回フィルターにかけてあげれば瓶詰めできるのだもの。滅菌処理もぜんぜんしないんだもの。うらやましいなあ、ぶつぶつ、、、
2006の試飲の後は、小さくてかわいらしいカーヴのひと隅で、シャン・カネの最近のミレジムの垂直試飲。2005、2004、そして2003を抜くブドーさん。「ちょっと冷たすぎるからね。」と、みんなでグラスを手であたためながら。しかししかし、本当に目から鱗の試飲。同じアペレーションで、こんなに違うなんてとあらためてびっくりしました。美しいシャルドネのお手本のような2005年。表現力豊か、クリーンな酸のきれ、お育ちの良さ。続く2004年は、ミレジムのハーブの香りと味わいがまだはっきりと感じられるグリーンなエレメントが、うーん、まだちょっと融合していない。ギヨームのお気に入りのミレジム。変わって2003年。短かった葡萄の成熟期間と猛暑が、南国の果実のアロマとなってはっきりと映し出されていました。ワインは調教されているけれど、それでもうねるようなヒートが感じられる。やっぱりワインって素晴らしい、情熱をかけて造るかいがあるなあ。どのミレジムもそれぞれのよさがある。テロワールとミレジムの個性を最大限に生かしてあげられるよう努力しなくっちゃ、とあらためて感じました。ブドーさん、ありがとうございました。
実はこんな写真をアップするのは気が引けるのですが、彼の希望です、お許しを。(瀑)?歳の誕生日に、気球の小旅行をプレゼントしてくれました。コート・ド・ニュイの北、フィサンから出発して、ニュイの上空を南へと下る旅です。気球の名前はエアー・エスカルゴ。かわいいでしょ?
2007年10月24日
「黄金の10月」
私が醸造長を勤めることになったアルテンキルヒのURLはこちら
http://www.weingut-altenkirch.de/
去る9月1日にアルテンキルヒへ来て以来、文字通り怒濤のごとくの収穫期を乗り越えました。それもこれも、チームのおかげ。とても楽しい、そして優秀なチームなのですが、皆のことはまたゆっくりご紹介します。
オーナーでありボスのフォン・ローゼン氏からははっきりと、「収穫と醸造に関するすべての判断は君にまかせる。」と言われました。つまり、来年の1月に醸造所を去ることとなるペーターにかわって、この収穫期からは私が完全に製造サイドの指揮をとるということです。この言葉をいただいて、正直ほっとしました。ペーターからも、「君が瓶詰めするビンテージだろ、君が納得できるものでなくっちゃ。だから僕はサポートにまわるよ。」と。こうして、アルテンキルヒでの私のヘルプスト(「秋」の意のドイツ語ですが、私たちの業界では収穫期のことをこう呼びます。)は始まりました。

2週末連続で手伝いに来てくれて、本当に助かったわ、ありがとう。「プレスの上は僕の場所」、とギヨーム。「男の子」はみんなプレス機が好き。でもね、私も好きなのよ。重力で落ちて来る葡萄をまんべんなくプレス機の中におさめるのは、毎日やっているとさすがに重労働。でも、これぞ収穫期の快感。いつの日か二人でワインを造ることになったら、機会の半分は私に譲ってね!
http://www.weingut-altenkirch.de/
去る9月1日にアルテンキルヒへ来て以来、文字通り怒濤のごとくの収穫期を乗り越えました。それもこれも、チームのおかげ。とても楽しい、そして優秀なチームなのですが、皆のことはまたゆっくりご紹介します。
オーナーでありボスのフォン・ローゼン氏からははっきりと、「収穫と醸造に関するすべての判断は君にまかせる。」と言われました。つまり、来年の1月に醸造所を去ることとなるペーターにかわって、この収穫期からは私が完全に製造サイドの指揮をとるということです。この言葉をいただいて、正直ほっとしました。ペーターからも、「君が瓶詰めするビンテージだろ、君が納得できるものでなくっちゃ。だから僕はサポートにまわるよ。」と。こうして、アルテンキルヒでの私のヘルプスト(「秋」の意のドイツ語ですが、私たちの業界では収穫期のことをこう呼びます。)は始まりました。
2週末連続で手伝いに来てくれて、本当に助かったわ、ありがとう。「プレスの上は僕の場所」、とギヨーム。「男の子」はみんなプレス機が好き。でもね、私も好きなのよ。重力で落ちて来る葡萄をまんべんなくプレス機の中におさめるのは、毎日やっているとさすがに重労働。でも、これぞ収穫期の快感。いつの日か二人でワインを造ることになったら、機会の半分は私に譲ってね!
2007年10月17日
ラインガウの西端、ローヒでワインづくり
5月からこのかたいろいろありました。
まず、せっかくブロイヤーが正式に雇ってくれるはずだったところが、私が来るまでヘアマンの右腕としてがんばってきたテレザのもとボーイフレンドのマルクスが、辞めるといっていたところが結局辞めないと言い出したんですね。それで、結局私に約束されていたポストはなくなってしまいました。一醸造所に二人のケラーマイスターは必要ない、それはそうでしょう。お家騒動に巻き込まれたこっちとしては、たまったものではありませんが、しょうがない、友人関係にかたっぱしから電話をかけ、「どこか口があったら教えてね。」と頼みました。
持つものは友。パウルは、「VDPのメーリングリストで探してやる。」と。ラインガウのトップ醸造所の一つ、ライツでボスの右腕を勤めるエヴァや、ビオディナミ・コンサルタントのゲオルグが、プファルツにつてがあると言ってくれましたが、思春期の子を持つ私は子供達を転校させることだけは避けたい。それが、3日後に、ラインガウの西端に位置するローヒに17ヘクタールを持つアルテンキルヒ醸造所でマーケティングを担当しているグレゴアから電話を貰いました。「実は、君も知り合いのうちの醸造長のペーターが辞表を出したんだ。ともこ、興味があったらボスと電話で話してもらえないかな?」
渡りに船、いえいえ、それ以上によい話ではないですか! アルテンキルヒ醸造所は、新オーナーが2年前に経営に参加して以来、耕作面積を拡張しイメージを刷新し、延びている醸造所です。そしてローヒは、エヴァが惚れ込んで小さなパーセルを借りてワインを造っているほど、素晴らしいポテンシャルを持つ特級畑が連なっている村。私は早速その日にオーナーの一人であるフォン・ローゼン氏に会い、とんとん拍子で翌日には就職が決まっていました。
まず、せっかくブロイヤーが正式に雇ってくれるはずだったところが、私が来るまでヘアマンの右腕としてがんばってきたテレザのもとボーイフレンドのマルクスが、辞めるといっていたところが結局辞めないと言い出したんですね。それで、結局私に約束されていたポストはなくなってしまいました。一醸造所に二人のケラーマイスターは必要ない、それはそうでしょう。お家騒動に巻き込まれたこっちとしては、たまったものではありませんが、しょうがない、友人関係にかたっぱしから電話をかけ、「どこか口があったら教えてね。」と頼みました。
持つものは友。パウルは、「VDPのメーリングリストで探してやる。」と。ラインガウのトップ醸造所の一つ、ライツでボスの右腕を勤めるエヴァや、ビオディナミ・コンサルタントのゲオルグが、プファルツにつてがあると言ってくれましたが、思春期の子を持つ私は子供達を転校させることだけは避けたい。それが、3日後に、ラインガウの西端に位置するローヒに17ヘクタールを持つアルテンキルヒ醸造所でマーケティングを担当しているグレゴアから電話を貰いました。「実は、君も知り合いのうちの醸造長のペーターが辞表を出したんだ。ともこ、興味があったらボスと電話で話してもらえないかな?」
渡りに船、いえいえ、それ以上によい話ではないですか! アルテンキルヒ醸造所は、新オーナーが2年前に経営に参加して以来、耕作面積を拡張しイメージを刷新し、延びている醸造所です。そしてローヒは、エヴァが惚れ込んで小さなパーセルを借りてワインを造っているほど、素晴らしいポテンシャルを持つ特級畑が連なっている村。私は早速その日にオーナーの一人であるフォン・ローゼン氏に会い、とんとん拍子で翌日には就職が決まっていました。
2007年05月01日
ブロイヤーへ
ブログの頭にも書きましたが、ブロイヤーへの就職が正式に決まりました。仕事初めは今月の14日から。
現在、卒論のためのラボワークを終わらせるべくラボにつめているところです。その合間をぬって、私が世話をまかされているシュロスベルクのピノノワールの畑仕事。14日からはまた、ブロイヤーに戻ります。
ペーターに報告したら、「ともこはブルゴーニュへ行くんだとばかり思っていたよ。」との言葉がかえってきました。でも私は、子供達が成人するまでの数年はまだラインガウにいてワインを造っていこうと決めていました。心の半分ではフランスへ行って職につきたい、でも、これが現時点での最上の選択なのだとわかっていた。自分にとっても私の大切な人々にとっても。ワイン造りを学び始めたのはドイツなのだもの、ここが私の原点だと自覚して、特にリースリングの栽培と醸造をきちんとマスターしてからフランスへ行きたい。
まだ卒業まで半年あるけれど、就職が決まってなにが嬉しいかって、自分の仕事に対してドイツのトップワイナリーの一つから代価をいただくことで、自分の技能が認められるということ。テレザの言葉「あなたが必要よ!」では心が奮い立ちました。そして、ヘアマンに希望のお給料の額を伝えた時はきちんと承諾してもらえかつ、「自分の能力と技能の価値を自覚しておくことは大切だ。」と言ってもらえた。今までがんばってきてよかったと本当に思えたんです。
現在、卒論のためのラボワークを終わらせるべくラボにつめているところです。その合間をぬって、私が世話をまかされているシュロスベルクのピノノワールの畑仕事。14日からはまた、ブロイヤーに戻ります。
ペーターに報告したら、「ともこはブルゴーニュへ行くんだとばかり思っていたよ。」との言葉がかえってきました。でも私は、子供達が成人するまでの数年はまだラインガウにいてワインを造っていこうと決めていました。心の半分ではフランスへ行って職につきたい、でも、これが現時点での最上の選択なのだとわかっていた。自分にとっても私の大切な人々にとっても。ワイン造りを学び始めたのはドイツなのだもの、ここが私の原点だと自覚して、特にリースリングの栽培と醸造をきちんとマスターしてからフランスへ行きたい。
まだ卒業まで半年あるけれど、就職が決まってなにが嬉しいかって、自分の仕事に対してドイツのトップワイナリーの一つから代価をいただくことで、自分の技能が認められるということ。テレザの言葉「あなたが必要よ!」では心が奮い立ちました。そして、ヘアマンに希望のお給料の額を伝えた時はきちんと承諾してもらえかつ、「自分の能力と技能の価値を自覚しておくことは大切だ。」と言ってもらえた。今までがんばってきてよかったと本当に思えたんです。


